おくりもの
皆さんは「贈り物、プレゼント」は好きだろうか。
私は贈り物をするのは、好きだ、と思う。
ケーキや和菓子を手作りするのも好きなので、誰かに食べてもらえるとうれしいし、友人や知り合いにちょっとした誕生日プレゼントを考えるのも楽しい。
でも、モノをあげるという行為は繊細なもので、特に昨今はいろんな人と簡単につながれる一方で、その距離感もさまざま。
一定の距離感を保つことをよしとする場面も多いと思われるし、いかに「相手が負担に感じない、そして素直に喜んでもらえるもの」を選ぶか、考えすぎると何を選んだらいいのかわからなくなったりもする。
そして、絶妙なタイミングでプレゼントを用意するとなんだかできる女ぶっているとか、女性らしさのアピールとか、見返りを求めているように思われないかと、人目を気にした気の小さい考えも浮かんでしまったりして、贈り物って難しいなあとつくづく思う。
さて、そんな悩める私に大切なことを教えてくれたイタリア語がある。
”Pensierino”(ペンシエリーノ)=ちょっとした贈り物
お土産を表す言葉として、こういう時は一般的な贈り物を表す”regalo"(レガーロ)ではなく、”Pensierino"の方があっていると教えてもらった。
”Pensierino"は、”Pensiero"(ペンシエロ)という言葉にイタリア語で小さいものを表す"-ino"が語尾についたものだが、”Pensiero"がそもそも「ちょっとした贈り物、プレゼント」を意味する。
なので、”Pensierino"はさらに小さなちょこっとして贈り物という意味になる。
そして、”Pensiero"は英語でいう”Thought"にあたる言葉で、「考え」「心配」「気遣い、思いやり」という意味もある。
”Pensare"(ペンサーレ)「考える、思う、心を配る」という意味の動詞から派生した言葉であることも考えると、この言葉は物を贈るのではなく「心遣い、気遣い」とい贈る気持ちを表している言葉だということがわかる。
日本語の「心付け」に近いだろうか。(お金を渡すという意味ではないが)
贈り物とは心遣い、思いやりを贈ること。
イタリア人の贈り物に対する考えが表れている言葉だと思う。
また、用例を見ると「つまらないものですが」とか「たいしたものじゃないけど」と訳がついている。
つまり、”Pensierino"を使うことで、”たいしたものではありませんが”という意味が加わっているのだ。
日本人と同じ。よく「つまらないものだったらあげるな」と言ったりもするが、イタリア人も同じように”Pensierino"という言葉を使って謙遜するのだ。
こういう繊細な気持ちが見える言葉がイタリア語にあるとは驚きだったが、イタリア人の贈り物に対する考えが見えるとてもいい言葉だと思う。
めんどくさい、難しいことは考えずに、素直に自分の気持ちを表すものとして贈り物をとらえればいいのだ。
この言葉に教えられたように思う。