イタリア語を学ぶと人生が楽しくなる!

イタリア語から学んだ人生の楽しみ方

イタリア語から学んできたこと

言葉は使う人々の文化や生活、時代を映し出すもの。

10年以上イタリア語を学んできて、実感していることです。


イタリア語は、イタリアの人々のイメージそのまま、音も軽くて明るくて、発音しているだけでも元気になれる不思議な言葉。

そして、言葉の意味や使いかたにも、イタリア人のポジティブな生き方が表れています。

イタリア語を学んでいると、イタリア人は人生の楽しみ方を知っているなあ~と感心することがたくさん。その発見の楽しさで今まで続けてこられたのだと思っています。

 

イタリア語を習い始めたばかりの頃、当時習っていた先生が、

「イタリア語には失恋って言葉ないかも~。なんて言うのかわからないわ」と。。

ええっ。失礼ながらプレイボーイのイメージが強い国、モテ男に振り回されて涙する女性がいないとは思えないし、どんな人生にも出会いと別れは付きもの。

男女の別れの悲しみを表す言葉は本当にないのだろうか。

(若い先生だったから、本当に失恋の経験がなかったのかもしれませんが)

でも、失恋という言葉がない世界があるなら、私も行ってみたい!

 

ところが、辞書を引いてみると、失恋の伊訳は”Cuore Spezzato"とあります。Cuore(クオーレ)は心、ハート、Spezzato(スペッツァート)は粉々になった、壊れたという意味なので、心が粉々になっている状態、英語のBroken Heartと同じ。

言葉としては存在するのですね。


でも、やっぱりイタリア人の失恋に対する考え方は日本人のそれとは違うと思います。

今習っているE先生には、以前ほんとに失恋した時に「一度は泣いてもいいけど、チョコレート食べて立ち直りなさい」と明るく励まされ、失恋した友達のやけ酒に付き合った話をした時も、「そんなの(男女がお別れすること)イタリアじゃ普通のこと、やけ酒の理由にならないわよ」と言われました。

へえ〜、イタリアの人ってほんとに明るくて前向きだなあ〜。

いつまでもうじうじしているのがバカらしくなっちゃいます。


イタリア語の失恋の言葉もよく考えてみると日本語の失恋とは違う。

『失恋』という言葉は“恋人を失う”と言う意味だけど、『cuore spezzato 』は、“傷ついた心”と言う意味。

失ったものは取り戻そうとしても思い通りにならないけど、傷ついた心は自分で癒すことができる。

そう、チョコレートを食べて(笑)

失ったものに焦点をおくのと、自分の心に焦点を置くのでは、恋人とお別れする、とか好きな人に振られるという事実との向き合い方が違いますよね。

去ったものに対して恨み言を言ったり、自分の行動を後悔したりと言う時は、過ぎ去った過去を見ている。

傷ついた心をどうやって嫌そうか考えて、甘い物や美味しいものを食べて見る、これは今、そして未来を見ているんじゃないかな、と思います。


イタリア人の前向きな生き方が表れている言葉、と言えるのではないでしょうか。

とはいえ、やっぱり私はイタリアの人々には失恋と言う概念はないのでは、と思っています。

少なくとも日本語の失恋という言葉が意味するところの概念は。

いつでも自分を楽しませるこポジティブさをイタリアの人々は教えてくれます。


言葉や使い方に垣間見えるイタリア流人生の楽しみ方、そんなイタリア語についての発見をこのブログに綴っていこうと思ってます。