イタリア語を学ぶと人生が楽しくなる!

イタリア語から学んだ人生の楽しみ方

イタリア語との出会い

イタリア語を学び始めたきっかけを書いておこうと思います。

それは2002年5月、日韓W杯の年、そして私の20代最後の月でもありました。

4月にそれまで働いていた会社を辞め、次の仕事を見つける前にかねてから行きたいと思っていたイタリアに一人旅に行くことに決めたのです。

宿を決めないでヨーロッパを回ったというバックパッカーの友人の影響を受けたのか、ホテルは現地で決めよう!と思い立ち、最初はベネチア、その後フィレンツェに移動、フィレンツェからミラノに戻って帰ってくる、という大まかな予定だけを決め、両親の心配もよそに大きなスーツケースを引きながら2週間の旅に出発したのです。今思えば、あれが私の”衝動的な一人旅”の記念すべき第1回目でした。

思い立ったら勢いで一気に計画して、手配して、飛び立つ!

実は大丈夫かなあ~とびくびくもしていたのですが(笑)

 

最初に訪れたのは水の都ベネチア。電車の駅の近くのエレベーターもない古いホテルに泊まったのを覚えています。

せまい階段の踊り場にネコがごろんと寝ているような、のんびりした雰囲気が好きでした。

ある朝、朝食をすませて部屋に戻ると、従業員のおばちゃんたちが何人か私の部屋に集まっていました。どうやら天井の電気を交換してくれていたようだったので、「Grazie(グラツィエ)」というと、一人のおばちゃんの顔がパーッと明るくなり、「Parli Italiano?(パルリ イタリアーノ?=イタリア語話すの?」と嬉しそうに聞いてきました。

(まだ当時はイタリア語を勉強していなかったのに、なぜか理解できたんですよね。)

グラツィエとブオーノはだれだって知ってるよ~と焦って、「Un'po.(ウン ポ=少し)」と答えましたが、実は全然しゃべれない状態。。

でも、その時の嬉しそうなおばちゃんの反応が観光地なら英語ができれば問題ないと思っていた私に「イタリア語でコミュニケーションを取りたい」という気持ちを芽生えさせ、現地の言葉で会話する喜びを教えてくれたのです。

 

次に訪れたフィレンツェでは、おじさんにいっぱいナンパされました。

ベネチアには、当時ドイツで働いていたアメリカ人の友人が会いに来てくれたのでフィレンツェでいよいよ一人になった私は寂しさもあって、おじさんの誘いを断りきれず、今思えばちょっと危なかったなと思うのですが、警戒しつつ、無料で似顔絵を描いてもらったり、カプチーノジェラートをおごってもらったり、というお得な出来事もありました。みんな声かけてくる時の文句が「来年日本に行こうと思っているんだけど、どの季節がいいかなあ?」とか、「どこがおすすめ?」とか、思わず答えてしまうような質問で、、さすがうまいなあ。

 

そして、フィレンツェでも、イタリア語を学ぶきっかけになる出会いがありました。

イタリアの伝統的な印刷やマーブル紙を扱っている文房具やさんのようなお店で働いていた、おそらく同じくらいの年の日本人の女の子。

彼女はまだイタリアに住んで半年と言っていたと思います。それなのにイタリア語がペラペラで、とても自然に話していました。彼女は語学のセンスがあるのだと思いますが、イタリア語を話す日本人を見て、私も話したい!という気持ちがますます強くなったのです。

 

そんな刺激を受け、ミラノに着いた頃には、持っていた旅の会話集に出ている簡単な文で会話にトライするようになっていました。

 ”Vorrei Provare"(ヴォレイ プロヴァーレ=試着したい)

”Un biglietto dell'autobus, per favore"(ウン ビリエット デッラウトブス ペル ファボーレ=バスのチケットを一枚ください)

など。。

宿泊していたホテルでもちょっとした交流がありました。

朝食時にコーヒーを持ってきてくれるおじさんが私のことを覚えてくれて、初日にカフェラテを頼んだら、翌日は聞かなくてもカフェラテを持ってきてくれ、次の日はポットで、その次の日は大きなポットで持ってきてくれるようになりました。

最後の日に「今日帰るんだ」ということを伝えると、「次はイタリア語がしゃべれるようになって帰っておいて。その時は、もっと大きな部屋に泊まるんだよ」と言ってくれました。

一度、私が荷物を置きに部屋に戻った時に、おじさんがミニバーをチェックしてるところに遭遇したので、私が泊まっていた部屋を知っていたのです。

ささやかなやり取りでしたが、今思い出してもほっこりしてしまいます。

 

初めてのイタリア一人旅では、一人で外でディナーもできず、実はあまりおいしいものを食べた思い出がありません。

記憶に残っているのは、市場で買ったオリーブ、立ち食いのカルツォーネフィレンツェのおじさんたちにごちそうになったカプチーノジェラート、そんなちょこっとし

イケメンには出会えず、話したのはおじさんばかりだったし。

でも、楽しかったんですね。

2週間の一人旅は私にとっては大きな冒険で、そこで経験したことはすべてが今でも大切な思い出です。

そんな素晴らしい2週間を過ごして、帰国した時には自然にイタリアを勉強しよう、という気持ちが芽生えていました。

そして会社を辞めたばかりで無職なのに、仕事を探し始めるよりも先にイタリア語を習い始めたのです。

 

まさか10年以上も続くとは予想していませんでしたし、がむしゃらに勉強するほどモチベーション高く続けてきたわけではありませんが、元来飽きっぽい私がここまで続けてこれたのは、イタリア語から学べるイタリア人の明るい考え方や人生の楽しみ方の学びが、私にとって必要なものだったからでしょう。